懐かしの「談志・円鏡歌謡合戦」 |
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年末は読書をし、CDを聴いて過ごした。CDは談志の全集である。 平成8年、9年と竹書房から連続して出たもので、昭和40年から45年までの「ひとり会」の録音、何と談志30歳から35歳にかけての落語全集なのである。 談志は十分に若く血気盛ん、軽妙かつ威勢がいい。時代は「フーテン、ヒッピー、3億円、よど号、アポロ11号、大阪万博」で、ひとしお懐かしく聴いた。その時期は私が談志の追っかけを始めたころで、私はその会場であるイイノホールと紀伊国屋ホールへ通い詰め、ついには昭和45年の春に入門を果たすのだ。 聴き込み、談志落語が刻一刻と変わってゆくプロセスにあらたな発見があったが、特典盤として付いていた「談志・円鏡の歌謡合戦」には懐かしさのあまり涙が出た。それは当時のニッポン放送の名物番組であったが、私は幾多のギャグを聴くうち、まざまざと18歳の付き人としての私を思い出したのである。 そう、私は確かにあのスタジオに居合わせたのだ。 売れっ子同士の困難を極めるスケジュール調整、台本なしのアドリブで録音に突入し、バカバカしい会話に心血を注ぐ談志と円鏡、ディレクターは予想される膨大な編集に頭を悩まし、私はお茶をさしかえながら、まだ何もわからずうろうろするのみであった。両者が発する「勝負あった、電気釜ァー!」などのナンセンスギャグを聴きながら、私は入門時の青さを知ったのだった。 当時、過労と心労で円鏡師が円形脱毛症になったっけ。三島由紀夫が割腹自殺を遂げ、談志は翌年の衆院選に打って出た。あれから幾星霜、円鏡師は円蔵師となって離れたが、談志の鋭いツッコミがあってこそ円蔵師の面白さが際立つと考えるのは、私が談志の弟子だからであろうか。 ま、そんなこんなの新年です。どうぞまたおつきあいのほどを。 立川談四楼 |
日刊ゲンダイ1月7日号より全文掲載 |