談志退院毒舌健在也
 そのとき談志の病室には談志と私のほかに3人の見舞客がいた。西丸震哉氏、山城新伍、花園ひろみ夫妻である。談論風発、にぎやかに文化論が繰り広げられていたのだが、突如として松村邦洋氏が乱入、見ればカメラを引き連れていて、「『進め!電波少年』です」ときた。いやスゴイ、電波少年は本当にアポなしでやってくるのだ。
 「何だい?」との談志の問いに松村氏、「切除したがんをください」「どうすンだ?」「七輪を持ってきますンで、焼いて食うンです」「痰(タン)なら吐くぞ。タン焼きにして食え」「‥‥」----というようなヤリトリであったが、果たしてオンエアに堪えうるのか‥‥。
 山城夫妻を見送って病室に戻った談志、ひろみ夫人を前にしてややテンションの低かった山城氏を評して曰く「白馬童子はお姫様にゃかなわねンだ」と解説。ほかにも連日、さまざまな見舞客があったらしい。
 小渕外務大臣が外遊直前に立ち寄り、笑福亭鶴瓶師はネタを連発、談志をバカウケさせて帰ったらしい。毒蝮三太夫氏は痛み止めのモルヒネを見て「モルヒネ久弥」とのダジャレを飛ばしたというし、つまり談志の病室はサロン、もしくは演芸場のおもむきであったのだ。
 9月25日午後1時退院。病院玄関で寝転んで記者会見。自宅へ戻り小休止の後「にっかん飛切落語会」のトリを務めるベク霞が関のイイノホールへ。何と退院当日が仕事始めなのである。
 ロビーは取材陣でごった返し、客席は超満員、立ち見はもちろんのこと、通路も人ヒトで埋まったのだ。
 古手の弟子は「沖縄開発庁政務次官をシクジって以来の入りだ」と感想をもらし、高座の談志は開口一番「手術のとき小さんの顔がチラついて死ねないと思った」などといきなりウソをつき、さらに重ねて「オレは食道がんだが青島は都のがんだ」と毒をまき散らしたのだった。

   立川談四楼
日刊ゲンダイ10月3日号より全文掲載