世紀末から新世紀に向けての落語界の胎動 |
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| 3月31日、新宿末広亭における特別興行「円楽・談志一門精鋭競演会」は300人の客が入り盛況のうちに幕を閉じた。 マスコミに広く告知したわけでもないのにこの数字をたたき出したのは大したもので、さらに真打ちには1万円が支給されると聞き2度ビックリ、過去も今も1席2000〜3000円が寄席の相場なのだ。 円楽党、立川流ともに、寄席で修業した者は既に少数派である。つまりそれは長年寄席に出演しなかったとうことで、だから互いの楽屋でのあいさつも「久しぶり」より「初めまして」の方が多く交わされ、しかし両派は遠慮なく熱演したのだった。 周辺は激変したが、末広亭とその楽屋は何も変わらずそこにあった。ことに楽屋は入り口のサッシとエアコンを除くと、湯をわかすガス台も、中央に置かれた火鉢も、古びた火鉢さえ昔のままで、一瞬そこに志ん生や文楽、あるいは円生が座っているのではと錯覚したぐらいだった。 円楽党が落語協会を脱退したのは昭和53年、三遊亭楽太郎は「23年ぶりの末広の高座です」と開口一番、ファンから喝さいを受けた。彼は漫談と形態模写をやり、サービスにこれ努めた。円生、彦六、先代馬生、談志等を演じたのだが、わずか7年の楽屋暮らしといえども、やはりその高座は、紛れもない寄席育ちのにおいがしたのだった。 末広亭は笑顔でまた出てくださいと言い、われらも、こちらこそお願いしますと答えたわけだが、その瞬間は何かが動きだしていることを実感させるに十分だった。 他流試合の日々から世間を見てきた円楽党と立川流。協会という組織に頼ってヌルマ湯につかってきた協会所属の落語家たち。何をすべきか見えてきた気がする。やはり小朝師が唱える4組織のユニットあたりから始めるべきであろう。世紀末から新世紀へ向けての寄席を考える、貴重な一日であった。 立川談四楼 |
日刊ゲンダイ4月12日号より全文掲載 |