長い間お疲れさまでした「談志ひとり会」閉幕 |
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談志が長く長く続けてきた「ひとり会」に終止符を打った。心からお疲れさまでした、ご苦労さまでしたという言葉をささげる。 30年前、私が高校生のころ、その独演会は新宿の紀伊国屋ホールで催されていた。月に一度そこに通うことは落語家志願の私のノルマで、その客席にいて私は意思を固めていったのだった。兄弟弟子みなそうである。「ひとり会」は弟子入りの登竜門でもあったのだ。 会場を国立演芸場に移してから数えること143回である。そのチケットはプラチナペーパーで入手困難、ファンを通り越したマニアがドッと押し寄せる。そこには過度の期待があり、そのプレッシャーと戦い続けた143回なのである。 私も独演会をやっている。当初談志をまねて月1回のスタートであったが、大した期待があるわけでもないのにプレッシャーに負け、たちまち隔月にしたという経緯があり、より一層談志の強靱な芸人魂に敬服するのである。 最終回は、入りきれない客がロビーにあふれた。国立というやかましい場所ですから、お帰りくださいと言っても聞かず、大勢がロビーのモニターに見入った。楽屋も人でひしめき、ソデは鈴なり、その中で談志は「松曳(まつひ)き」と「らくだ」を演じた。ことに「らくだ」は1時間を越える熱演で、圧倒的な、かつて聞いたことのない拍手のうちに幕が下りた。 打ち上げもかつてない規模にふくれ上がり、各界著名人が談志の功と労を、誉め、ねぎらった。未練はあるが人生の整理に入る、しばらくのんびりする、と。平たく言えば「隠居宣言」である。そして談志は言った。「ジミーが危ねンだよ」と。数十年来の盟友、ウエスタン歌手のジミー時田氏のことである。そして翌朝、何という符号であろうか、われらはジミーさんの訃報に接するのである。(この項つづく) 立川談四楼 |
日刊ゲンダイ3月15日号より全文掲載 |