連載・男の背中 15
偽悪じゃないよ、俺は。
常識という嘘にテレてテレての結果だ。
常識に反抗してないと、俺がもたない。
 男には偽悪家を装うところがある。悪にはなんとも言えぬ魅力があるからだ。あなた、いい人ね、と女性に言われるのは、つまらない人と言われたのと同じだ。あなたって悪い人、と痣でもつけられれば男は有頂天になる。それも本物の悪では言い訳が立たないが、偽悪なら許される。だいいいち、いい人ぶって腹の中は真っ黒という偽善家より、悪そうで実はいい人のほうがはるかに居心地がいい。

 昭和10年代生まれの男なら、高校時代に学生服のズボンを細くした覚えがあるはずだ。あのころ流行したマンボスタイルだ。不良っぽくて格好よかった。足踏み式のミシンで、より細くと悪戦苦闘したものだ。裾の折り返しがさらに面倒だったが。
 もうひとつは丹頂チック。ヘアドライヤーなんてない時代だから、リーゼントにするにはこれで固めるしかなかった。前髪を一筋ぱらりと垂らして細いズボンで決める。それでいっぱしの悪のつもりだった。もうちょっと気取った奴は伊達巻き。ケガもしていないのに拳に包帯を巻いて闊歩した。グレたまねをするのは、大人になるための通か儀礼だったともいえる。こうした悪にあこがれる傾向は、もっと小さいころにもある。いい子でいなさいと言われて、親の言うとおりにしているより、駄々をこねたほうが構ってもらえる。悪い子のほうが母性本能をくすぐることを知っていたからだ。

 それを引きずっているからか、いまでもカラオケとなると、片手をズボンのポケットに突っ込み、マイクをぶらぶら揺すりながら立つ男がいる。どちらかというと、ふてくされた態度だ。それでいて歌はけっこう甘い演歌だ。あの人のああいうところ、放っておけないの。ホステスがつぶやく。悪い男だ。

 女性にだって悪女を気取るタイプはいる。私って悪い女なの、火傷したって知らないから。そう言われればなおさら男は向かっていく。ただし、悪女気取りならばまだ軽傷で済むが、本物の性悪女だと致命傷になりかねない。その見極めが男にはむずかしい。野に散乱する屍を見れば分かることだ。


 「俺のことを偽悪的というけど、そうじゃないよ。常識という嘘にテレてテレてしょうがないからなんだ。といって、狂気の世界に入ってもいいんだけどね。となると、常識に反抗した態度を取ってないと俺がもたない。
 常識の嘘にどれだけだまされたことか。思想、主義、宗教、セックス、家族制度、学歴、みんな信じてきたものがぶっ壊れたでしょう。人間というのはどこかで連帯感を持たなければ生きていけない。それを常識という共同価値観に求めるわけだ。暴走族には暴走族の連帯感と共同価値観がある。それが支えなんだな。いまの世の中、連帯感なんてない。一般的に共有できるのは戦争と飢えぐらいだからね。その、ない時代に求めたのが常識という嘘だ。それに反抗するのは極めて真っ当だと思うよ」

 落語家の立川談志である。
 「先日ね、ある作曲家のパーティに行ったわけ。なんでも歌供養だからってんで、出欠の葉書に俳句を書いてくれという。書きましたよ。で、当日、秀作を発表するという。俺のも入っている。ところが、俺の句を直してある。セコい直し方でね。だから、俺は怒った。失礼だ、没にしろと。その後、舞台で鼎談する予定だったけど帰ってきちゃった。
 その後で考えた。その場は黙っていて後で主催者に文句を言うのが日本では大人というんだろうと。そういう意味で俺は大人じゃない。だけど、俺は言うべきことは言う。ガキでよござんすよと」

 立川談志、本名・松岡克由は1936年1月2日に東京・小石川に生まれた。幼児のころからいささか風変わりな子だった。母親が、この子、変わっていると放っておいたからかもしれない。
 なにしろ、風呂に入らない。床屋にも行かない。たまに銭湯に連れていかれても板の間で遊んでいる。夜も、普通の子は家に入るが、入らない。自分が飽きるまで暗くなった路地で遊んでいた。
 5歳の七五三のときだ。何を思ったのか、急に写真が撮りたいと言い出した。それで母親は大慌てで風呂に入れて散髪をして、借り物のダブルの背広で写真館に連れていった。
 「だから、5歳までは汚かったと思うよ。教育ってのは直すことだけど、親が無責任だったのか、それとも俺の本質を知っていたのか、何もしなかった」

 小学校は1、2年通ったところで戦争。3、4年生は疎開。5年になって東京に戻ったとき、あぁ、学校のやってることは嘘だと思った。敗戦という事情はあるにせよ、よくもまあ、教師たちは平気で嘘をつくものだと。

 それを痛切に感じたのが中学1年のときだ。教師の言うことなんてつまらないから、授業中に落語全集を読んでいた。そのころはラジオと寄席ですっかり落語にハマっていた。
 と、教師がそばに来て肩に手を置いた。何してんですか、先生。キミに勇気を与えているんだよ。
 「よく言いやがるぜ、と思ったね。俺は将来、立川談志になった男だ。そのとき、先生が何か一言、応援してくれれば終生の恩師になったかもしれない。分からなければ、昔のようにキサマ立ってろとぶん殴られたほうが納得できる。それが昔の価値観が壊れたからといって、勇気を与えるはないだろう」

 そうした思いは落語家になってからも続いた。修業って何なのか。そうした疑問にだれも答えてくれない。嘘でもいいから、矛盾に耐えることと言ってくれれば我慢できたと思う。
 「ずばり言えば、今日の私が成功したとして、それをもたらせたものは何かと聞かれれば、教えた人間の間違いに気がついたからと言うだろうね」

 高校を中退して、五代目柳家小さんのもとに入門するのが16歳のときだ。なぜ落語家を目指したかというと定かではない。それ以前、子ども心に野球の選手か、水泳の選手と考えたこともある。しかし、どちらも選手になるには体力が足りない。そうした見極めが自分でついた。

 「落語がいちばん近かったということかな。歌舞伎やレビューがもっと身近だったら行っていたかもしれない。映画はよく見てたけど、あれは遠いものと思っていた。ひとつ言えるのは、落語の美学に惹かれたことだな」
 寄席の雰囲気。提灯に寄席文字。羽織に紋付き。高座の出囃子。それに惹かれた。
 「落語の内容から入ったわけなない。笑わせるのがいいから入ったわけでもない。なんでなったかというと、軽はずみかもしれないなあ。だけど、ダンサーやコメディアンにならなくてよかったとは思う。落語なら狂える、狂になれる。個人芸だからね。ほかのものだったら共同作業だから、ひどいことになってたろうな」

 二つ目になるのが入門して2年目の54年。柳家小ゑんと名乗る。才気煥発な芸風で人気を集め、63年に真打ち昇進。立川談志を襲名。落語家としてはかつてないタイプだっただけに、風雲児、異端児、問題児などと呼ばれたが、その話芸は圧倒的な支持を得た。83年、真打ち昇進試験をめぐって落語協会と紛糾し脱会。その年、立川流を設立。家元となる。その間、71年には参議院全国区に出馬し当選。

 「人は俺のことを毒舌というけど、俺はなぜ言うか承知のうえで毒舌ゲームをやってる場合がある。基本的なこと、本質的なことを言ってやったほうが相手が楽になる場合とかにね。たとえば、女のことで問題を起こした政治家の応援に行くと、それだけには触れないでくださいと念を押される。だけど、言わないでと言われれば俺は言う。言ったほうが相手も楽になるからだ」
 なるほど。しかし、言われたほうはつらい。
 「それが常識の嘘だよ。しかも、俺はそれを言えるポジションにいると思う。芸能人の中で一番威張っているし、しょせん落語家という部分も加味される。そのうえ、俺のいいところのひとつは、自分が間違っているかもしれないという意識が常にある。だから正しいとも言えるんだ。俺は弟子にだって間違ってたときは悪かったと謝っちゃうもの」

 そういう意味では素直?
 「真っ当ですよ。ただ、周りにおかしいのが多いから、俺を真っ当じゃないと言いたがる。常識に対してうまくいかない人間は家族からスポイルされ、社会のスケープゴートにされるけど、俺はそれがない。疎外感はないよ、話せば分かると思ってるから。俺は落語家のくせに生意気だということをうまく利用しているね。そのくせ、落語家だからナメると、虚々実々といって虚のほうが上だなんて、居直るだけの論理を持っているから始末に負えない」

 理屈が好き?
 「とことんやらないと気がすまない。女房がね、なんでパパは理屈ばかりつけたがるのって言うけど、理屈をつけたほうが楽な場合がある。たとえば、女房はとてもいい人なんだけど、じゃあ、いい人ってなんだと分析するわけ。すべての愛は自己愛だから彼女は自己愛が希薄なんだな。自分より相手を大切に思うわけだから。自己愛が少ない人をいい人って言う。そう言うと女房は怒るけど。待てよ、相手を大切にして自分が心地いいというのも自己愛かな。でも俺は自分勝手と言われて彼女はいい人って言われるのはなぜか?こりゃ再考の要ありだな」

 天才の定義を。
 「社会と共有できない自分の思考回路を納得させることだな。その量が多い人間を天才と呼ぶ。ピカソの絵。フェリーニの映像。もともと芸術ってのは共有できないものを共有させることだから」

 落語とは。
 「人間の業を肯定するだけでなく、すごいことを語っていると思う。ケチの話で、片方の目だけでものを見ていて、疲れたから交代すると知ってる奴がひとりもいなかったなんてのはすごい。今の宗教を語っている。がんもどきの表は裏返した上だとか、タドンは転がして上になったほうが上だとか、これは物事の本質。哲学を語っているね。ただ、俺にとっては、笑わせりゃいい、気持よくして帰しゃいいという発想はない。落語って何だ?からスタートしているところに俺の悲劇と苦悩があるんだな」

 男と女の関係について。
 「昔、結婚前にある女性と付き合ってたことがある。相手も有名人で、ふたりの関係がオープンになりそうになった。俺はそのとき、責任はフィフティフィフティだと言ったんだな。そうしたらその女性が、あ、もう駄目ねと。彼女は男が全部責任を取るべきだと考えていたわけだ。どちらが取るべきかは置いといて、男と女の論理が噛み合わないのは、責任の基準、ルールがないからだな。それをつくらなくちゃいけないね」

 色気とは?
 「要約するとセックスに結び付く。異性に対して自分が求めているものが肯定されるか否定されるか。否定されれば色気のない奴となる。しかし、セックスも分析するとおもしろい。子孫保持のためとはいえ、快感がないとしたらやるかどうか昆虫には快感があるのか。あるとしたら、行為を長くする努力をするだろうし。考えることはいっぱいあるな」

 老いるということについて。
 「若いほうが可能性のあることは確かだ。しかし、年齢を加味した己もいいと思うが、老いが芸の邪魔をしたらやめるだろうね。もうひとつ、セックスとかでなく、若くてきれいで頭のいい子、本来なら俺を受け入れるだろう相手が、俺の老いを理由に興味を示さなくなったら嫌だなとは思う。死が近づくことに対しては、それほど怖くないけど」

 今日のオチは。
 「こんなのどうだい?当て馬ってのがいるね。種付けの前に牝馬を発情させるための。それを見たある人が可哀相に思って花束を贈った。何の花だと思う?からたちの花だって。世の中、抽象的に話すのが利口で、具体的に話すのは馬鹿だと思ってるけど、これならわかるだろ」


 山下勝利