「談志が休席宣言」

 落語家の立川談志が「休席宣言」をした。活動の柱にしていた月例の「談志ひとり会」(東京・国立演芸場)もさる九日の第143回で終止符を打った。今年は契約済みの公演だけで、来年の予定はない。だが、そのまま、引き下がらないのが談志である。次の手も考えている。まず休席の弁を聞いた。(太田 博)


 「噺家にとってのリタイアってなんだと思ったんだ。サラリーマンだと、定年退職があるでしょ。オレの場合、まだまだやれます、と精神は言っているし、肉体も、休養を与えてやればそこそこ付いてゆくかもしれない。まだ自分よりうまい落語家はいないと思っているし、これほど客を集められる落語家もいないと思っている。談志がいなくなったら寂しいねえ、というファンもいるだろうしね。オレだって、(古今亭)志ん生がいなくなったらどうしようと思っていたもの。オレと客との未練だよそれが……」
 けどね、今の世は、町も雑誌も、すべては若いもんが『持って』いるんだよ。世界のあちこちで少年兵が戦っているよね。あれが正常なんだ。力のちょっと足りない大人なんだよかれらは----。もう、次(の世代)に渡すべきものではないかな。『肩たたき』までいちゃあいけない。本当は五十(歳)までにいろいろ教えておくべきだった。オレは教えてきたと自負しているけどね。これで落語が衰退するようなことがあったら、(春風亭)小朝や(立川)志の輔らの責任だよ」
 名指しされた若手二人への期待は大きい。だが、未練を断ちきれないまま落語をやめられるのだろうか。「オレの落語はアドリブが主だから、これが出来なくなると本噺が出来ない。先日、風邪を引いてやったら見事にだめだった。肉体と精神のバランスが狂ってしまった。そのくらい落語の芸というのは微妙ということ。これまでも、やめたいと思いながら思い直したりしたのだが、もうキリがない。どこかで未練を整理しなくてはいけない、と思うから」
 落語の将来を若い人に託す覚悟は出来ているのだが、それを全面的に認めるにはまだ複雑な思いもある。
 「若い人の技術も芽生えていると思うのだが、落語に立ち向かう際の了見が付いてきていない。形だけっていうこと。絶望だな。オレはもう知らない。最後はそれぞれの人間の責任だよ」
 突き放したふりをしながら情熱は消えない。で、落語から離れてどうする?
 「キザに言えば、少し東京でも見ようか、と。東京駅を歩くとか、東京タワーに昇ってみるとか。何が見えてくるだろうか」
 最後に朗報。「休席」はしても、談志落語は不滅だ。
 「インターネットというのがある。今、これで漫談をやっているのだが、これで落語をやれないだろうかと考えている。誰が聞いているのか分からないところでやるのは嫌いだけど、利用性はある」

 最後の「ひとり会」は名残を惜しむ客で立ち見が出る盛況。入念で、気合の入った「らくだ」を「どうだ」と言わんばかりに演じて幕を下ろした。終演後のロビーでファンの一人一人と握手する談志がいた。