一語一会
--いざというときチャランポラン--

 故色川武大先生は、我が立川流落語会の初期の顧問であった。子供のころから浅草に入り浸っていたという芸能通。いや芸人通であるから、談志は兄事し、その弟子である私は師事した。と言うのも私はそのころからモノを書き始め、よしそれならばと、談志が色川先生に紹介し、師弟関係となったのである。
 当時、色川先生は練馬区豊玉に住んでいた。まずそこへ出入りするようになった。次に新宿区は大京町に越し、そのまた次が世田谷区成城の旧川上宗薫邸となるわけだが、ちょくちょく出かけた割には、先生と二人きりになることは少なかった。忙しい人であった。つきあいのいい人であった。麻雀友達が現れ拉致されていくこともしばしばで、阿佐田哲也というもう一つの名前を意識する一瞬でもあった。
 しかし私は、ついに二人きりになった。一夜、新宿で飲んだのである。先生はそのころ、成城を引き払って岩手県一関へ引っ越す準備をしていて、そのあいさつ回りに同道したのである。客やママと談笑するのを脇から拝聴するという立場であったが、それでもうれしく有益であった。その上先生はタクシーに私を同乗させ、送ってくれると言うのだ。
 甲州街道で持病が出て、先生は眠った。時と場所を選ばず突然寝入ってしまう病気、ナルコレプシーである。その症状には慣れていたが、私は話をする時間がないと焦った。すると先生は環状7号線で目を覚まし、私が我が家の近くでタクシーを降りようとした時、ポツリと言ったのだ。
「ま、いざというとき、チャランポランになれるかどうかだよ」と。そしてそれが、先生の姿を見る最後となった。
 「いざというときチャランポラン」を、私は肩の力を抜くことだと解釈し、高座や書く仕事に向かっているのだが、さて今回の文章は、リラックスして書けているだろうか。先生があの世で笑っていそうな気がする。「うん、まだちょっと硬いね」と。

立川談四楼