新春プラザ寄席

1月5日立川談志 志の輔親子会太田区民プラザ大ホール
1月6日新春爆笑バトル寄席
神田北陽、林家たい平、ハリガネロック、柳家花緑、マギー審司、立川志らく




 二十一世紀も何もあるもんか、全く関係ねえ、何だろう、歳のせいか、元号の変わらないいらだたしさか、つまり日本人の習慣に唯数字を積み上げる西欧との仕組みが合わないのか、きっとそうだ、それだ。
 年頭に当たっての言葉なんてない。精々あって「これが最後だろう」ぐらいである。
 もういい、芸も、人間も、社会も判った。文明はダメなのだ。ノーベルも、ワットも、ニュートンも、デカルトも、乃木将軍も、ワシントンも、暴走族も、ガングロ女も、テレビも、ガキの暴力も、全て文明の産物なのだ。その文明の上にあぐらをかいて、悪しき部分、つまり「教育制度」をどうする、「政治」を、「人間の心」をなんざァチャンチャラおかしい。
 部分的に直したって、議論したって何も生まれない。むしろやるならヒトラーだ。日本なら戸塚宏校長だ。あとは北朝鮮に占領して貰う。しいていやぁ、いえ、やさしくいやぁ不景気に限る。
 アノネ、世間ぢゃ“景気のワルイ”の“不景気”のと騒ぐが、ぢゃあ聞くがバブルがはじける前の好景気のとき日本人は何をした。文学書一冊読んだかい、「人生」について、「死」について「生きる」ことについてちったぁ考えたかい。
 やった事はゴルフの会員券を買い、別荘を買い、ヨットを買い、飲み屋で遊び、東南アジアに女ぁ買いにいき……。
 ロクな事をしていない。家元の落語一つ聞きに来たかい、来やしまい。唯々、ハシャいでいただけだろうに、それがハジけて首ぃ吊ったり、その延長の今日は唯「文句と愚痴だ」。加藤紘一が、野中が……いや、もうそれらも忘却の彼方か、いつも家元云う如く、己を忘れる為に唯々騒ぐ、それもマスコミに煽られ、その通りに、そこで使われてしたり顔してる田原総一郎始めマスコミのバカ共。
 物のポンポコポンが判ってないのだ。
 末期症状の病人はどう手を打ってもダメなのだ。薬を恵えても、放っといても死ぬのだ、死ね、なに日本人ばかりか、世界の三分の二は死ねばいい。
 死にきれなきゃ、精々、それらのことを理解し、己と趣味を同じうする人が密かに集まって話をしよう。
 F・アスティアを、志ん生を、手塚治虫を、岡本綺堂を、夏目漱石を、正直にいやぁ、これとて文明の一つの余波だが、ま、他に競べりゃ罪がない……。
 立川談志とりあえず今年を最後にするつもりである。。もう停年なのだ。
 もういいよ、いろいろあったよ、いろいろやったよ。
 えーい面倒だ。
 こいつは春から縁起がいいわい……
     ナンダカワカンナイ
        ウフィー


立川流落語会
家元 立川談志






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