新春プラザ寄席 |
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| 1月4日 | 立川談志 志の輔親子会 | 太田区民プラザ大ホール |
| 1月5日 | 特選 東京若手落語家5人の会 林家たい平、柳家喬太郎、柳家花緑、春風亭昇太、立川志らく | |
| 1月6日 | 立川談志独演会 | |
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西暦二〇〇〇年という。一体「西暦」とは何なのかネ。 ま、キリスト教がきめた年数なんだろうが、家元別段何の感慨もない、しいて云やあ「滅亡の夜明け」とでもいおうか……。 二十世紀というとてつもない“楽しい”時代を生きてきた。 “生きてきた”とは文字通り現代の如く“生かされている”としか思えない時代とは違っていて、己れの力、もっというと「自力」、つまり自分の力で自然と対応していた、この苦しさ、がこの歳になると“素晴らしかった”と思えるのだ。 ま、いい、あっという間に生きた六十余年、その中で幼児期から青春期を過ごしたこの地の想い出は多い。それらの情況を、いえ場所を羅列してみる。 鵜ノ木駅、いや鵜ノ木、下丸子、千鳥町、多摩川園、田園調布、ときて、奥沢が止まり、久ケ原の高射砲陣地、武蔵新田の女郎屋は落語家になってから存在を知った。 ガス橋、丸子橋、巨人軍の合宿、デンコロといった田園コロシアム、テニスなどとても庶民の遊びではなかったっけ。鵜ノ木と久ケ原に通じる「切通し」光明寺の池、東京中学、池上のお会式、多摩の花火は丸子橋辺りで上がった。 道塚で在った「大東亜館」、三菱重工……それら、その場にそれぞれの想いはいまも鮮明に残る。 今宵、そんな咄もしようかネ。 ここ数年、この地から一年の仕事?ナニ「仕事」という程のことに非ズ。 だが、それらが始まる。 えー、新年(はつはる)と申しますてえと……なんでございます…… これが喋れるのもこの年、紀元二〇〇〇年が最後のように思える。 立川談志、世間流にいえばもうリタイアの年齢(とし)なのである。 鶴は千年 亀は万年 龍は二〇〇〇年 立川談志はあと一年 立川流落語会 |