お伽咄とX'masに見る「日本とアメリカ」

12月14日有楽町マリオン立川談志、デーブ・スペクター




 むつかしいことを書く。
 むつかしい、と云うことは、書いてる当人にも良くわからないことを書こうとしているのだからである。
 コンピューターのことだ。今年は何故か"こ奴"と縁があった、ま、それはそれ。
 一口に云うと、コンピューターは、家元が云い続けて来たことを、科学的に証明してくれそうなのだ。
 "落語は人間の業の肯定である"の"非常識の推め"の、又"もっと深いところにある、人間個人個人のイリュージョンみたいなものまで扱ってやろう"などなど、と、のたまっているが。
 つまり、人間てなァ、ものごとの存在というものを認めていると云う唯一の生き物で、他の生物は、"自分"にも"相手"にも、存在なんという意識はあるまい‥(と、敢えて云い切る)。
 つまり、例え他の生物にあったとしても、人間の云う意識とはまるで違うものであろう。
 つまり、人間だけが持っている意識なんというものは、それが悪いと、生きていけないから、どういうわけか、生まれて来たものだが、どうも、それらは嘘っぱちで人間がとりあえず作ったもので、その作った物は、突きつめていくと、何もないのではなかろうか‥。
 と、それらを落語は、教えてくれていたように思っていて、その内容を伝えるべく、家元は語っていたが、その代用‥というか、もっと信用?できる品物が、コンピューターで、所詮ものごと、すべて仮の姿で、幾らかわかり易く云うと、人間、コンピューターにインプットしておけば、それですべてが解決する、と家元はおもうのであります。
 当人なんぞいなくても良いのだ、大体当人なんてものは、ことに依るといないのかも知れない。
 誰かが、"当人"と決めているだけなのだ、とは、「粗忽長屋」が云っているし、百人いた奉公人を、無駄だと段々に減らして、最後に自分もいなくなった、と云う、あの江戸小咄の凄さは、それらを何処かで知っていたのだ。
 ‥もう止そうネ、益々ワカンナーイ、もんネ‥。

  立川流落語会
   家元 立川談志






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