第16回特選立川流落語会
談志二夜

12月25日立川談志有楽町マリオン 朝日ホール
12月26日立川談志、桂文珍




 「笑い」について昔から多くの人が論を語っているらしいが、どうも納得しない。
 つまり破綻がみえる。で、家元のご託。
 早い話“人間笑いたいから笑う”、それだけ。
 てえことは“笑う”という状態が人間好きなのである。“笑う”、つまり人間が緊張を解き、気を許し、身体を震感させている、その時に出る音が“アハハハ”だか、“ウヒヒィ”だかになる。
 一方「怒る」のは逆に人間好きぢゃないのだ。その証拠に相手が怒っているときに(ま、直接でなくても常に“怒り”の相手は居る)その相手が謝りゃ“怒り”はそこで終わる。
 落語ぢゃないが、
「あんた、ずっと怒ってれば…そのほうが顔にしまりがあっていいワヨ」
「冗談いうな、顔がくたびれちゃうわぁ」
 いつまでも怒ってりゃ疲れちまうし、疲れるなんざァ誰だって好きぢゃない。
「オイ、折角怒ってるんだから、もっと怒らせろ…」はないが、
「笑ってるのに、余計なことをいうなよ」はある。
  -○-
 人間笑いたいのだから、そのキッカケは何でもいい、さァ、そこだ。「何処だ」ってなァ曲芸の掛け合いだが、笑いたい人間にいつ頃から「上質の笑い」なんてぇものが出現したのか。
 ナニ笑いの問題ばかりではあるまい。全てのことに通じるのだが、それはさて置いて、何故いつごろから「句駄羅(くだら)ねえ笑い」と「いい笑い」を区別し始めたのか、“上質の笑い”とは何なのだ。ヤレ“多くの知識が必要”の、“センスが無くちゃあ”、などいうが、それらの必要のないほうが爆笑、つまり笑いの量は多い。
 もっとハッキリいやぁ、家元のように笑わせてくれる、と信用のある芸人…いや違う家元(あいつ)なら笑ってもいいんだ、と観客が決めた芸人なのだ。
 なら上質も下等もあるものか…でも、でも、くどいが誰が、いつ頃からそうなったのか…。
 ズバリいう、間違いである。上質の笑いなどは上質と思ってる連中だけでやってりゃよかったのに、何で大衆を「上質」に引き込もうとしたのか…。
  -○-
 人間は昔からずっと間違って生きてきた。その間違いを「文明」といい、「正解」と決めてきた。
 ま、いいや。
 ぢゃあ赤ン坊は笑うのか、“笑うよ”としたらこれは一体どうなのか…。
 高座で喋ろうか…ナニ、“それより笑わせろ”、いいよ…ナニ、“いい芸を演れ”ホラ、これだ。
 人生間違いのまま、生きているのにそれを愚痴ることを知性といっているだけなのだ…。

立川流落語会
            家元 立川談志






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