立川談四楼の北沢八幡落語会
4月15日
北沢八幡神社参集殿
立川談四楼・志の輔・志らく・談春・志っ平・志加吾・小談林
「百回記念に寄せて」
まだ百回か、とは思わない。もう百回か、である。頭ではせいぜい六、七十回の感覚なのだけれど、体は百回を納得しているようだ。この十三、四年の間に、太る、毛は脱ける、白くはなる、遠視(ろうがん)となる、歯はガタガタ、中性脂肪値要注意などなど、どこへ出しても恥ずかしくないオジさんになったのだ。
ごく稀に酒が大量に飲めてしまうので、まだ若いのではないかと錯覚を起こす。飲めた時のことをいつまでも覚えていて、こんなはずはないと思いつつ悪酔いし、ひどい二日酔を重ねるということの繰り返し。
会を始めた折の、キビキビした、凛々しい、あの青年はどこへ行ってしまったのであろうか。つい昨日のことのようにも思えるが、実はずいぶん昔のことなんだ。
ゲストも死んだし、客も死んだ。そうして今、新たなる客が足を運んでくれるようになった。新陳代謝という言葉を噛みしめないわけにはいかない。当初は、客の入りに一喜一憂してたっけ。落語への自分の判定より、客にどう思われるかが一大関心事で、何気ないひと言にくよくよもしてた。何より世に出られない自分を責めていた。そして世の中をも恨んでいた。そうあの頃はすべてが敵だったんだ。
会と齢を重ねることの利点は、それらのことがどうでもよくなることである。なるようにしかならない、成り行きさと思うに至ることである。ヤケでなく、感性の鈍磨でそうなるのであるでもなく、自然とそうなることが肝心で、なりたいと強くは思わなかったが、大人になっちまったということなのだろう。
頭や体がジタバタすることに疲れたのかもしれない。いや、敵味方や目的がハッキリしたということなのだろうか。いてもたってもいられない焦燥感や胸キュンが久しくないのは淋しいことだが、二日酔時にはなかなか神経が鋭くなり、何を見ても聞いても読んでも涙がハラハラと出る。どうだと医者に自慢したら、何だバカバカしい、「涙は単なる老化現象」だとさ。
ま、そんなこんなの百回である。滅多にない、めでたいなどと周囲が言い、その気になっている。イケる口の人はビールを飲んで祝ってもらいたい。下戸な方は弁当でもつまんでもいらって、祝いながら志らく、談春、志の輔を楽しんでもらいたい。ビールや弁当は常連さん達の差し入れで、この場を借りて御礼を申し上げたい。『感謝』。
小さな色紙、よろしくば記念にお持ち帰りのほどを。いざ書く段になったらいい文句が浮かばず、つまり力が入っちゃったわけで、ま、トイレにでもぶらさげといて下さい。と言って差し上げ、その家に遊びに行ったら本当にトイレに……(ネタです)。
記念の会ということで半分宴会ですが、忘年会ではありません。静かに盛り上がっていただいて、私をたっぷり聴きたい方は会が平常に戻る六月にまたお越しください(ガクンと減ったりして)。
当会場、八月はお休みです。八月は国立演芸場で『文芸落語会・パート3』という形になります。詳しくは百回記念の新聞『DANSHIRO NEWS・号外』を御参照下さい。
この新聞制作にも世話になった方がいる。百回を迎えるに当たって、様々な人達に支えられていることを実感する。前座諸君、そして当会で前座修業をし、二つ目、真打となった落語家達よ、ありがとう。長年の広告スポンサー諸氏にも感謝です。そしてそして何よりお客様(急に様だって)、ありがとうございます。
さァ、飲むぞ。
立川談四楼
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