
第141回・1月11日
「初春から縁起でもない」といわれそうだが、家元疲れた。もういい、もう駄目……とはいわずだが、“もういい……”。疲れた疲れたとここ五年、我が日記はそればかりである。
理由(それ)は、家元の不摂生が最大の原因でもあろう、けど、人間らしく生きてきた。少なくもいつもいう通り、“酒は身体にワルいから、気をつけて飲むべきである……”なんてなことはいわない家元だ。
酒は人間を駄目にする物ではない、人間という生き物はダメな奴なのだ、ということを確認させる為に酒は存在するのだ……といってきた。
“酒をやめるか”、“芸をやめるか”、もっというと“酒をやめるか、芸を休むか”というこった……。家元酒を取る。酒のある人生をとる。家元にとって芸は人生、落語はその基本に在った。けど、人生を見つめての落語であった。それが酒のため、いや歳のせい、もう芸を演じる為にはあまりにも人間を犠牲にしすぎる、と感じてきた結果なのである。
この思いは、この数年、家元をおびやかし続けてきた。でも落語家という人生を守ってきた。けど、くどいがもう疲れた。
あとは人生の整理である。未練をいったらキリがない。
出来のいい「らくだ」もあったし「芝浜」もあった、まだまだよくなり発見もあろう、何故なら家元の落語は毎度いう通りアドリブなのだから、アドリブで演りゃあ、どうでもやれる、狂うまでやれる。いや狂気という常識外の事柄を観客に納得させる喜びもあり、それは家元のいう「イリュージョン落語」とでもいうべき「松曳き」に「饅頭怖い」に「風呂敷」に、「粗忽長屋」に……もっといやあ、「文七元結」も「よかちょろ」もイリュージョン落語であり、家元落語としてその中での常識の度合いの多い、少ないだけの差であろう。
それに加えて、これも高座で喋った様に、体力が精神のいう事を聞かなくなった。
まだまだ、他に理由はある、けど、一と口にいうと「疲れた」。疲れたなど、芸人のくせに、生意気いうな、甘ったれるな、芸に、芸術に休みがあるか、と知れ、オィ談志……といわれてもダメェッー。
-○-
で、この後どうなるか、判るもんか、毎度いう通りの「人生成り行き」である。
どうせ曲がった人生さ、将棋の桂馬の如く、斜っかけにと飛んだのだ。
-○-
で、その「休み」の中に独り会も入る。
そのくせ長年の夢でもあった談志のエド・サリバンショウを爆笑問題とやる(NHK・BS)。企画も決まっているし、その自信もある。
けどけど、人生フィニッシュを知らねばなるまいに……。
-○-
それと同時に長年の友、敬愛この上もない横山ノック大阪府知事の辞任という大衆の騒ぎのギセイとしか家元には考えられない事件もあった。
日本人にゃ生意気なれど愛想が尽きた。けど、家元の周囲には日本一の、他に類を見ない観客という仲間がいる。
しばし許せよ、家元の「成り行き」という行為を……。
紀元二〇〇〇年正月、いい区切りでもある。
立川流落語会
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第142回・2月9日
“前回は失礼”って、品川のお染めの文句に似るが、いやはや参った。
モウロウとしてやがる、自分の声が半分くらいしか聞こえない。原因は風邪だろうが、ことによると風邪薬かも知れナイ。何せ、ああいう種の薬は眠り薬が入っている、というし……。
しかし、まァ、そのお陰で円楽という珍品の見世物があったし……。
いや失礼失礼、名人芸が聞けたし……。
そこで気が付いたことなのだが、つまり家元高座に上る前から当然引いている風邪だし、耳もダメ、というのも太田区民センターや、立川での高座で経験している、で、結果というか、そのための防備として、パターン化している噺ならよかんべえ、というので演った。それが駄目なのだ。ま、どうやら務めたが一杯、ま、一席であったからで、太田区民センターの「独演会」という二席はやはり保たなかった。
つまりネ……家元の落語は一言半句違(たが)わずに喋れる咄でも、常に背景(バック)にアドリブが控えてないと出来なくなってしまったのだ。
凄いことだ、本物の芸人になってきた、芸術家である。
余談だが、「芸術家」という言葉だが、意外に日本人この言葉を嫌う。“何が芸術家だ、芸人でいいぢゃねえか……”と、まァ、こういうこったが……確か、あまりいい響きでもないし野暮な字であり、「芸術家気どり」という軽蔑した言葉もある。
家元はネ……おっと、「手前ぇで家元といってりゃ世話ぁねえや」という声が世間中にあるのも百も承知の助……いえ、だからこそ、かえって逆にそれを称(い)う。世にこれを「天の邪鬼」という。
芸術という言葉に対しても、それがある。また面倒だから芸術(この)言葉を使って区別しているのだが……。
アドリブが出来(きか)ない己れに家元はもう用はないらしい。家元にとって芸とは方法的にはアドリブのことである。
-○-
それが観客に気づかれたとき、世の中から流され、忘れられていくのだ。世の中は「老いた者」を流そう流そうとするのである。いえ被害妄想ではない事実である。
それは生物、生き物として当然のことなのだ。
もし流されるのが嫌なら、世間という陽の当たらない場所(ところ)に住むべきではないのだ。そう、つまり「郷土芸能」として村のはづれの神社の如く、そこで年に一度の祭りで催される芸能の如くに生きていれば世間は忘れているから文句も出ないし、抵抗もない。
けど、けど、いくら「よきこと」を言ったとしても人間という文明を覚えた人類にゃあ特殊才能を持った芸人として瞬時に日常性となってしまう。また、それをするのが文明と思っているし……。
これらの行為を「人非人」というべきなのか。はたまた、先に書いた如く、「生き物の生理」というか、「自然の成り行き」とでもいうべきか。それらが合体して社会を作っているが如きに見えるけど、根本は違うのだ。まして芸は、芸術は……それを語る人間は、芸人は……である。
-○-
なのに、“老人を生かしておこう”という、この逆の発想は天を恐れぬ行為であろう。
老人として生きたければ、そっと、生きるべきなのだ。「生きている」という生物的な恥をどこかで覚えながら……。
-○-
書いてて、何だかまとまらない。書く方がまとまってなきゃ、読まされる方は堪らない。
で、結果“捨てられる”とこうなる。判るぅ……?……。
まだ風邪が治ってないのだ。
いや、家元、天才、狂気の世界に入ってきたのだ……。つまりネ、老人は捨てられるもの、それが現代に居座ろうというムリ……これがヒシヒシと家元自身に感じるのだ。“それは違うネ”という人もいようが……違ってない。
独り会もあと二回……立川談志、伝統の世界では生きられないのだ。
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第143回・3月9日
もう散々“疲れた”の、“駄目”の、と駄々っ子の如き文章(もの)をプログラムに書いた。
ナニ、プログラムばかりに非ズ、家元の日記、メモ、雑記の、ほとんどがこの類である。
でも家元、もう世の中の「仕組み」、「方法」や「楽しみ」なども判った、充分知った。
いづれにしろ、“たいした事はない”と思えるようになった。そう見えるのだから仕方ない。
ま、こういう考えや、発想を“病んでいる”というのかネ、いえ、そんなこたァない、ごく正常である。
もし、“病んでいる”というのなら、家元若い頃から病んでいる、病みつつ、ここまで生きてきた。病気だから受けてきたのかも知れない。
-○-
「世の中の仕組みや方法が判った」と書いたが、それとて当然自分で勝手にそう判断しただけのことで、政治も、経済も、外国の事も、映画も、野球も、芸能も、博打も、選挙も、世の事件も、誰が死のうが殺されようが関係ねえし、他人の噂も、TVも、「のめる」の片っ方(ぺら)ぢゃあないが“つまらねえ”の一と言である。
ま、落語がいくらか、とそれに自分で作る料理?らしきもの、と、酔ったときの懐メロ、いや、待てよ、これとてもう駄目酔いが醒める。「談志円鏡歌謡合戦」これは面白い。逆に酒がハズむ、酒のサカナに絶品だ。
で……その、落語とて疲れている。普段ふと思い付くときは“面白いな”、“こうやりゃいんだ”などなどはあるけれど……これまた疲れる。
「でもネ、落語を続けていないとダメンなっちゃうよ……」と忠告(いう)?人も多くいるし、それを直家元にいう場合もある、けどネ、いったって聞かないよ、聞くもんか。人生そういうもんなんだ。ま、「よかちょろ」ぢゃないが“聞えてる”程度だ。
いっとくが別に、もう“やぁめた”と決めた訳でもないが、これを昔の人は「人生惜しまれて去る……」という言葉に残しただけだ。
-○-
家元別に死ぬ予定もないが、それとてその内に予定に入ってくるかもや知れず、特に自殺がネ……でも普通(なみ)の自殺ぢゃ嫌だし、何か一つ変わった方法で……また落語(ネタ)ンなったか……。
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いまハワイにいる。チト用件もあったが結果外国旅行というものを独りで考えてみる破目ンなった……。これまた「のめる」で、以前(まえ)にも書いたが、人生この歳ンなってそんなに面白いことがあってたまるか、昔の人の様に貧乏に追いまくられて“働けど働けど、我が生活(くらし)楽にならず”がごく当たり前で、それがやっと幸福を掴み、楽しみを覚える……という図式ならいざ知らず、まァ何処かにそれに近い情況が現代ではあるものの家元散々楽しんだ。ありとあらゆるものに興味を示し、それに挑み楽しんだ。
もう無理だい、カハルヒルトン(現マンダリンH)の窓の外、まだ明け切らない夜の終りにイルカが三頭遊んでる。まだ暗いのに元気な奴等だ、新聞配達みたいな奴だ、それを眺めての一応最高の夜の場所に部屋に泊っていて、「のめる」なのだ。
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それが人間自然なのだろう、してみりゃ「人生成り行き」は正解(あた)っている。で、当分東京を眺めて“ポケッー”としてる。新宿の廃屋の様な我が家に独り寒い部屋で毛布に包まってじっとしていた十日間が、このハワイの旅の前の二月中にもあった。
〜春よこい、早くこい
でなくて全くあべこべ、春よくるな、暖かくなるな、当分冬でいて欲しい。それも冷たい冷たい冬と、湿気をおびた風がいい……以上、最後の独り会のプログラムの為に、とりとめもなく……。
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